水曜日, 5月 31, 2006

前を向いて歩こう

今回は自分向けの投稿です。

ブログで私的過ぎることを書くのもおかしな話なのかも知れないが、他に記述するところもないのでここに書こう。

忘れないためにも、ここへ書いておきたい。

だから、たまたまこの投稿へ飛んできた人は、今回は見ていただかなくてもいいです。

すごく長いですし。

それに興味ないでしょう?(苦笑

 

 

僕は今、大学院生だ。

この春から、学部生の頃に所属していた研究室に、今度は院生として再び所属することになった。

専攻は文化人類学。

そう、文系である。

 

一般的に言って、文系の大学院進学率は理系のそれと比べてずっと低い。

大抵の人は、大学卒業後、どこかしらの企業に就職し、サラリーマンとして働くようになる。

 

しかし、僕はあえて大学院への進学を選んだ。

よくある、もうしばらく学生を続けたいというモラトリアムではない。

僕は将来、研究職につきたいと考えているからだ。

 

以前、父親に研究者になりたいと言ったことがある。

大学院に入って、その先は博士課程にまで進むのだと。

父親は僕の話を黙って聞いてくれたが、最後にこう言った。

「100人の学生がいたら、99人か、もしかしたら100人全員が選ばない道なんやぞ。普通のサラリーマンになって、普通の暮らしをするっていうことはできへんのか?」

 

僕は、学部生の頃から大学院に行くことを決めていた。

だから、父親としては、修士課程まで行って、普通に就職すると考えていたのだろう。

だから、父親が漏らした言葉もよくわかる。

でも、人とは違う道を選びたかった。

人一倍強い自尊心がそうさせたのかもしれない。

どうしても研究がしたかった。

 

だから、 その足がかりとして、大学院に進学した。

学部の4年の頃は、同期の人間が就職活動に明け暮れていても、自分は大学院に行くんだと思い、あまり気にならなかった。

   

でも、4月に入り、 同期の人間が社会人として働き始めるとそれは変わってしまった。

同期の連中は社会人として、金を稼ぎ、自立しようとしている。 社会人としての義務を果たそうとしている。

それに比べて自分は何だ?

いつまでたっても親の脛に噛り付いている。

毎日気ままに暮らす、単なる学生じゃないか。

この上、博士課程に進んだらどうなる?

あと何年、学生を続け、何もなすことがないのか?


僕は、社会人に対して、社会人である同期に対して、社会人である友人達に対して、引け目を感じ始めていた。

コンプレックスを感じてしまった。

疎外感を感じた。

自分の下らなさに失望した。

自己嫌悪に陥った。

自分を見失った。

 

この2ヶ月ほど、毎日が苦痛だった。

ふとした瞬間に自己嫌悪が頭をもたげてきた。

ただただ、1日1日を消化するだけの生活だった。

 

でも、大学院生として過ごす日々が続くにつれ、院生の立場というものが見え始めてきた。

学部生と同じ空間で過ごしているが、院生と学部生は根本的に違う。

院生は、好き好んで自分の研究したいことのために勉強しているのだ。

そう思い始めると、僕は少し楽になった。

言い訳じみているのは認めよう。

 

でも、僕は一つ重要なことを忘れていた。

僕が大学院に進学したのは、気楽な学生生活をするためではない。

博士課程へ進み、やがて研究者になるためだということを。

どうしてこんなにシンプルなことが思い出せなかったのだろう。

どうしてこんなに大事なことを忘れてしまっていたのだろう?

 

誰にも恥じる必要のない自分の目標のために今は学生をしているんだ。

こう思い至ったとき、社会人に対する引け目は消えていった。

自分を認めてやることができた。

もう、毎日をただ過ごすだけという感覚は消えていった。

 

Iがこんなことを言った。

「同期の連中が働いている時間は、俺達も勉強をすればいい。」

そのとおりだと思ったので、実践している。

働かないのなら、勉強をすればいい。

それが院生だと思う。

 

だから、前を向いて歩こう。

顔を上げて

まっすぐ先を見て

胸を張って

大きく腕を振りながら

一歩一歩確実に

歩いていこう

 

後ろが気になるときもある

時には立ち止まるときもある

でも、うつむくことだけはもうやめよう

誰にも恥じることはない

しっかりと顔をあげて

前を向いて歩いていこう

 

それが、僕の生き方なんだと思う。

それで、いいんだと思う。

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4 件のコメント:

  1. 去年の俺は、公務員試験受けたり就活したり、悩みぬいた一年だった。
    影響されやすいというか優柔不断というか、そういう点ではぐっさんとは違うけれど、今は大学院で勉強できること、幸せなことだと感じているよ。

    俺が今ここにいる理由を話そう。

    俺が公務員試験を受けたのは、将来公立の美術館に勤める道と考えたからだったし(今思うと違うが)、就活しようと思ったのはギャラリーの仕事と出合ったから。

    そう、俺も俺なりに道を考えていたんだけど、どうもうまくいかず、学部の知識だけでは希望する職を得るのは難しいと思った。後悔の無い生き方を選ぶことに時間をかけたい。
    確固たる夢とはいえないけど、俺にも同じように譲れないものがあるんだ。個性の無い現代で夢を持って生きて何が悪い?

    まあそんなわけで俺は自分向上のために今院にいるんだろう。やっと最近勉強の方向性も見えてきた気がするしね。幸運にもインスパイヤーしてくれる仲間もいるわけだし。笑

    以上、俺の価値観であり、歩き方をたらたらと人のブログに書いちまったけど、まあいいやね。
    前進あるのみ!

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  2. 俺はYO,学部4年のとき就職活動してたのさ。ジャーナリスト(新聞ね)志望で頑張ってみたんだけど、ことごとく面接落ちでさ。んで、方向を変えて政府刊行物の会社でインターンして内定もらったんだけど、なんかもやもやしてたわけ。

    「やっぱりネパール気になりますよね」とささやく声が四六時中聞こえてくるわけさ。(笑)

    当時は(というか今もだが)王宮暗殺事件がある程度収束したものの、毛派は活動してたし、この状況を捉えられるのは今しかない、と思い大学院進学を決めたわけさ。
    当時は「とりあえず入れればヨシ!」と思っていたので、各種学校卒でも試験を受けさせてくれる院を探して(というか、一個しかなかったけどね)無事入ったんさ。
    あとは今年受け直してKANAZAWAにやってきたわけさ。

    なんか、生い立ち(!?)話になったな。
    勉強はいつでもできるとは言うけれど、今しかできない勉強もある(特に人類学!笑)し、大学院レベルになると単なる勉強でなく、「知」を生み出すところまで要求されるし、そこがスリリングな部分でもあると思ふ。
    俺の実力でそこまでできるかどうか分からんけど。笑

    同世代は社会人2年目に入っててさ、去年休学した半期はほんともう、「なにやってんだ俺」状態だったよ。もう、思い出したくないくらいYO。
    でも、「思い悩むのは誰でもできりゅ!行動に移してナンボ!」とべんきょに励んでみたのよ。英語力や専門知識の面からいえば、ゼミや何やで無力さを感じることがほとんどだけど、一方でわずかながらも手応えを感じるのさ。
    そのわずかながら確かな手応えと、「同期も頑張ってる」感が俺をモチベートしてると思うなぁ。

    やっぱね、まだジャーナリスト諦めたくないってのもあるし、人類学はジャーナリズムと切っても切れない関係にあるから、いまこのKANAZAWA大学の文人研にいるのは何か必然的なものを感じるわ。2ヶ月目にして。笑

    やたら長くなっちまった。
    なっすんも書いてるけど、インスパイアまくってますYO!ビアガーデン楽しみだね。多分、一番楽しみにしてるのはYヌナだな。笑

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  3. ありがとう二人とも。
    持つべきものは戦友か(笑

    書くかどうか迷ったけど、後のためにも今書いてかんとと思ってさ。
    いつかフラッとしたら、またこの気持ちに帰ってくればいいと思ってさ。
    それに自分の整理というのもあるし。

    まぁさ、俺以外の誰がようわからん人々の宗教とか呪術を好き好んで知りたがるよ?(苦笑

    二人からもしっかり勉強させてもらうゼイ。

    あと少なくとも20日が待ち遠しい(笑

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  4. Nくんのブログから見つけて思わず読んでしまいました。

    私も修士の2年間は悩みっぱなしだったよ。でもここに来られずにはいられなかった。

    でも、来るとこまで来たら一気に吹っ切れて楽しい毎日を送れています。研究室も好きです。居心地良い◎

    私も、古い文献とか好き。大学の書庫でも「きっとこれ、私が初めて借りるなぁ」と思うことに喜びを感じてしまう24歳の女です。院て、皆マイナーな快楽に浸ってるんじゃないの?取り寄せた文献に出会うときのあの悦び…。

    周囲にオタクと呼ばれたり、あまりに資料に熱中して「現実世界に戻っておいで」と言われていた2年前を思い出しました。

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